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川田 美樹

さん

オランダで気づいた「違い」

国/地域名:オランダ
期間:2003年8/21〜9/3

内容:建物の修復と都市計画のアイデア出し
参加者:ドイツ、スペイン、アルメニア、ロシア、トルコ、オランダ、ギリシア、ルーマニア、ハンガリー、フランス、アメリカ、日本
大学名:関西学院大学
学部:総合政策学部

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私は、オランダのユトレヒトという町で国際ワークキャンプに参加しました。仕事の内容は、宿泊施設でもあるEMMAセンターの修復作業と、ユトレヒトの町をより緑にしようという都市計画のアイデアとして、町の小さな模型を作ることでした。
ヨーロッパは初めてではなかったけれど、オランダという国、そして一人ということに最初は不安を抱いていました。
しかし、その不安も着いたその日にすぐ消えました。

デンハーグのユースホステルに2泊した後、ユトレヒトのEMMAセンターに移動しました。
施設は思った以上にぼろくて、小さかったです。
ヨーロッパを中心に2人のキャンプリーダーを含め23人が集まりました。
日本人(アジア人)は一人だけでしたが、みんなフレンドリーですぐに打ち解けました。
着いたその日は、カードやウインクキラーなどのゲームをしてくつろいだ後、自己紹介をしたり、国のことを話したりしました。
ルーマニアの子から、革命の時の話を聞いたときは、授業で聞いたこととリンクし、とても印象的でした。

2日目はユトレヒトの町をみんなで歩いたり、これからのボランティアワークの説明などを聞いたりしました。
ユトレヒトの町は、オランダの町の典型として運河が流れており、本当に素敵な町でした。
2日目以降は、施設の修復作業として、壁のペンキ塗り、草刈り等、分担して働きました。
ワークの時間は1日6時間くらいで、それとは別に、食事班の人は昼と夜の食事を作り、掃除班の人はシャワー室、トイレなどの掃除を担当しました。

最初の週の平日には、みんなでアムステルダムに行く機会がありました。
何人かはすでに訪れていましたが、私は初めてだったのでとてもわくわくしていました。
飾り窓地区やCoffee Shopなど、多くの人が想像するオランダとは違った一面も見ることができ、興味深かったです。
もちろん、運河が流れるきれいな部分も見てきました。

2週目からのワークでは、ユトレヒトの町をより緑にしよう、という案を再開発計画の一部として市に提案するために、フンデルトワッサーというアーティストとユトレヒトの町についてのワークショップを始めました。
みんなでアイデアを出し合ったり、想像で町を描いたりした後は、実際に町の模型を作っていきました。
その模型は町の展覧会に出展され、新聞やテレビで報道されました。

自由時間はゲームをしたり、町に行ったり、のんびりしたり・・・と有意義に過ごせました。
2回目の週末は、何人かでベルギーとルクセンブルクに行きました。
ワークと自由時間で3週間はあっという間に過ぎてしまいました。
途中、けんかみたいなこともあったけれど、ワークキャンプが終わる頃には大家族のようでした。
最後の夜は、レストランで食事をし、帰宅後、パーティーをしました。
もちろん悲しかったけれども、メールも出来るし、また会えるかもしれない、そういった思いがあったため、笑顔で別れを告げることが出来ました。
ワークキャンプが終わった後も、メーリングリスト上でお互いの情報を交換しあっていたので、彼らとの出会いがいったいなんだったのか、3週間のワークキャンプで過ごした生活は何だったのか、ということはほとんど考えませんでした。

「彼らとの出会いは一体なんだったのか」と真剣に考えたのは、ワークキャンプに参加したアルメニアの男の子から一つのメールが届いたからです。
そのメールには、「Mihran is dead.」と書かれてありました。
アルメニアからは2人の男の子が参加しており、Mihranというのはもう一人の男の子です。
もちろん誰も信じようとしませんでした。私もすぐにメーリングリストで、それがジョークであることを願って返信しました。
しばらくたって返ってきたメールで、Mihranが交通事故で崖から川に転落し、生きているか死んでいるか分からない、ということが書かれていました。
恐怖と不安で、私たちが出来ることは、祈ることだけでした。メール上でお互いを支えあい、祈りのメールを送りあいました。

しばらくしてMihranが生きていて、病院で治療を受けているというメールが届きました。
あまりの喜びで涙が出てきました。
Mihranが死んだかもしれない、というメールが来てから、生きているということが分かるまで、本当に恐怖で、彼との出会いは一体なんだったのか、と自分に何度も尋ねていました。
不思議なことに彼のことを思い出すと、自然と笑いがこぼれてきていました。
それは、ワークキャンプ中、彼がいつも私を、そしてみんなを笑わせてくれていたからです。

ワークキャンプ自体は3週間で終わりました。
けれど、私が彼と出会った事実、みんなと過ごした時間、経験し感じたことは、私の人生の中で生き続け、私自身に何らかの働きかけをしてくれているのだと感じました。
彼と再び出会うことはもうないかもしれないけれど、私が彼らと出会って共有した時間は、私がこれから生きていく上で私を支えてくれるものとなる気がするのです。
ワークキャンプ最後の日に、キャンプリーダーの一人が、「Make a difference.」と言いました。
彼が言ったように、このワークキャンプは、私自身の人生に何らかの違いをもたらしてくれるのだと思います。

今思うと、みんなと初めて出会ったとき、ワークキャンプでの生活、最後の夜、一つ一つが本当に懐かしく感じられます。
3週間、本当に楽しかったです。
楽しかったと同時に、いろんなことを感じました。もちろん、国家や人種が違うからこそ生まれてくる違いも多少あったのかもしれません。
しかし、私が感じた「違い」はひとりひとりの違いであり、個性という一人の人間として生まれてくる「違い」です。
国籍の「違い」ではなく、個性の「違い」、それを感じることで逆に、みんな同じだ、ということを感じました。
また、いろんな国の人と知り合い、彼らと時間を共有することで、今までは遠かった国が、一気に近くなったような気がします。ワークキャンプが終わり時々寂しく感じることがあります。
しかし、私がオランダでみんなと過ごした時間、そしてみんなとの出会いは、私自身の中で消えることはありません。
ワークキャンプに参加し、みんなと最高の3週間を過ごせたことを本当に感謝しています。
(2004.7)

【情報提供】 特定非営利活動法人 NICE(日本国際ワークキャンプセンター)

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